小豆島で坂井真紀の実家に身を寄せ暮らす檀れいと少女。
島に暮らす人々の温かさと、広い空や青い海の大いなる愛に見守られ、
束の間の安穏な日々を過ごしていたようですね。
檀れいはまるで、少女の成長を通して、人生をもう一度生きていた気分のようでした。
教室から砂浜の見える小学校、よかったな~
![八日目の蝉檀れい砂浜の見える小学校.jpg]()
今回は、坂井真紀が実家に戻ってきました。
子供を奪われた側と奪った側という立場の違いが明らかになり、
互いの言い分が交錯するのか?と思いきや、
檀れいは、その立場の違いを明かさず、友情はキープされました。
そのかわりに、本当の親子の姿というものを垣間見ることに…
![八日目の蝉檀れい坂井真紀吉行和子.jpg]()
坂井真紀親子、娘は離婚し傷ついてはいますが、ごく普通の母娘関係ですよね。
大きくなるまで共に暮らし、娘は結婚を機に家を出、
ひとりなって久々に母の顔を見に来たところで、
ちょっと照れくさいだけで、気がねなく甘えられます。
娘は離婚の時に味方してくれなかったと嘆きますが、
母は娘のために我慢も必要と心を鬼にしただけで、
その底流に流れているのは愛情以外の何ものでもありません。
娘だって心の底では本能的にそれがわかっていて、
それでもあえて弱い気持ちをぶつけられるやさしさをそこに見ているはず。
だけど、そんな心を許した関係でも、子が大きくなれば、
一緒にいると窮屈になってきてしまうものでもありますよね。
母はいつまでも娘が子供だった時代のように、あれこれと世話を焼きたいと思いますが、
当時のような親子関係に返ることはなく、それが寂しくもあり嬉しくもあるというような。
親子はいつかは別れるもの。
檀れいと少女にも遅かれ早かれ別れの時はやってくるはずでしたが、
ただ、その時があまりに早かった。
檀れいのしたことは、罪深いことです。
少女の実の母やその家族の悲しみの深さはとても深い。
罪を償う必然のあることでしょう。
問題は、あの少女にとっての檀れいはどうだったのか、ということ。
檀れいはあの少女に幸せをあげていたのか。
それは実の母やその家族から貰うはずであったものより、上質のものだったのか。
少女のその後の人生に影を落としたのか。
なにより、少女自身は檀れいや、彼女と暮らした日々を、心のどこに置いているのか。
最終回、北乃きいの解答が待たれるところですね。
![八日目の蝉檀れい老けメイクでもきれい.jpg]()
今回の檀れい、過ごした年月を表現するためか、美しさを多少セーブしている感じがしました。
予告編を見ると、老けメイクながら美しさが復活していたようでしたので、その点も楽しみです。
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教室から砂浜の見える小学校、よかったな~

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互いの言い分が交錯するのか?と思いきや、
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そのかわりに、本当の親子の姿というものを垣間見ることに…

坂井真紀親子、娘は離婚し傷ついてはいますが、ごく普通の母娘関係ですよね。
大きくなるまで共に暮らし、娘は結婚を機に家を出、
ひとりなって久々に母の顔を見に来たところで、
ちょっと照れくさいだけで、気がねなく甘えられます。
娘は離婚の時に味方してくれなかったと嘆きますが、
母は娘のために我慢も必要と心を鬼にしただけで、
その底流に流れているのは愛情以外の何ものでもありません。
娘だって心の底では本能的にそれがわかっていて、
それでもあえて弱い気持ちをぶつけられるやさしさをそこに見ているはず。
だけど、そんな心を許した関係でも、子が大きくなれば、
一緒にいると窮屈になってきてしまうものでもありますよね。
母はいつまでも娘が子供だった時代のように、あれこれと世話を焼きたいと思いますが、
当時のような親子関係に返ることはなく、それが寂しくもあり嬉しくもあるというような。
親子はいつかは別れるもの。
檀れいと少女にも遅かれ早かれ別れの時はやってくるはずでしたが、
ただ、その時があまりに早かった。
檀れいのしたことは、罪深いことです。
少女の実の母やその家族の悲しみの深さはとても深い。
罪を償う必然のあることでしょう。
問題は、あの少女にとっての檀れいはどうだったのか、ということ。
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それは実の母やその家族から貰うはずであったものより、上質のものだったのか。
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なにより、少女自身は檀れいや、彼女と暮らした日々を、心のどこに置いているのか。
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